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2009年02月28日

Mr.Children 『Tomorrow never knows』

text by かべみちこ


あの頃、すでに私は十分「大人」だったけれど、まだ「娘」でもありました。



あるお天気のいい日曜日。
その2年前から癌を患い、闘病生活を余儀なくされていた母の見舞いのために、
私は毎週のように杉並の自宅から、横浜のみなとみらい地区にある病院まで愛車のルノーサンクを運転していました。 車中で聴くのは、いつもミスチル。
なぜ?って、桜井君が好きだったから。

私だって小学生の頃ジュリーが好きで、赤いソノシート欲しさに明治のチョコレートを一生懸命買ったこともあったけれど、大人になって仕事をしていたときには、何だかそんな気持ちをすっかり忘れてしまっていたのです。
仕事を辞めて、垢が抜け落ちて、フツーの生活に慣れ親しんで十数年が経ち、好きになったのがミスチルだったのです。  
ルノーサンクという私だけの空間は、いつも桜井君の声でいっぱいでした。 たまに夫が同乗すると、「また?」と嫌がられるくらいには。
そういえば、 「新幹線に乗せてあげる」 と小さな息子をだまして東京駅からたったの一駅。 横浜ドームでのミスチルのコンサートに行き、あまりの音響に息子が泣いたことがあったっけ。
あの時は、本当に困りました。


空は青かったけれど、それが秋だったのか、冬だったのか。



母はどういうわけか、無鉄砲で気の強い私をあまりしかったことがなかった。
と、思うのです。
嘆いていたことは、よくあったけれど…。
隣の高校のロック少年に恋をして、クラシックピアノをやめ志望大学を変更したときも。 音楽が好きというだけで、転職したときも。 音楽業界で働くようになった私が一人暮らしをしたときも、うるさい父に内緒で家賃を払ってくれていたのです。

結婚して子供もようやく中学生になって 「そろそろ母と旅行にでも」 と思っていた矢先の出来事でした。
日に日に弱っていく母を見るのは、辛かったから。
余命を悟られたくなかったから。
いつも元気でいることが、唯一できることだったから。
往路では景気付けに Tomorrow never knows を 桜井君と一緒に歌っちゃう。
一人きりの車内は、何でも許してくれるのです。
 
でもその日に限って、歌っていたら涙が溢れ出してしまったのです。



クネクネ曲がった首都高速横羽線で、視界がブワッと滲み始めて…壁に激突して死ぬかと思いました。
そしてその瞬間も、たぶん私は歌っていたのだと思うのです。

   ♪果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
    癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて♪
    
こわかったけれど、こわくないような。
ほんの一瞬、 死 というものが身近に感じられた出来事でした。 

それから程なくして、
私は大人だけれど、もう誰の娘でもなくなってしまいました。




いったい何によって、子供と大人の線引きがされるのかはわかりません。
もちろん、その人の体験や考えによってさまざまだとは思うけれど。
敢えて言えば私の場合、そのときに自分の役割が変わったように思うのです。

甘えるものから、甘えられるものへ。
守られるものから、守るものへ。
知らないものから、知るものへと。
そのときのそんな心情に、ピッタリした曲だったのだと思います。
   
♪人は悲しいほど忘れてゆく生きもの
     愛される喜びも 寂しい過去も♪
    

♪優しさだけじゃ生きられない
     別れを選んだ人もいる
     再び僕らは出会うだろう
     この長い旅路のどこかで♪

想い出の曲はたくさんあるけれど、
母が亡くなり10年の歳月が流れた記念に。



Mr.Children / Tomorrow never knows
posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 16:15| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

aztec camera『Pillar To Post』

text by 福岡智彦



1983年6月にリリースされたaztec cameraのデビュー・アルバム「High Land, Hard Rain」に収録されている。
その1年前にシングル・リリースもされているようだ。
アルバムは評論家には注目されたようだが、ビルボードの100位以内に入らなかった。
シングルはチャート・インも果たしていない。

彼らの最大のヒットは1990年のシングル『The Crying Scene』でビルボードのmodern rock tracks部門3位。
でもボクはこのノーマークの『Pillar To Post』のほうが断然好きだ。

ごくごくシンプルなギター・ポップ。ギター・リフも王道路線。
サウンドは典型的な80年代ネオアコ系。シンセドラムの響きががなつかしい。
でも、とにかくサビのメロディ・ラインがすばらしい。
明るくて切ない。
この「明るいんだけど切ない」感じがボクにはツボである。
明るいだけじゃアホっぽい。切ないだけじゃ寂しい。
笑いながら泣いているような、うれしいから涙が出てくるみたいな、そんなウラハラ感が好き。
この曲のサビはホントに何度聴いても飽きない。

「from pillar to post」で「あちこちに」とか「次々と」という意味である。
詞全体の意味はかなり抽象的・暗示的でよく解らない。
「出口の見えない人生であることよ」的な感じか?
スコットランドの人だから訛りがすごい。
「coulld I」が「キュダイ」に聞える。
でもこの訛りはジョン・レノンなんかにも共通するもの。
歌になったときはアメリカン・イングリッシュよりも好きだな。
ブリット・ポップの特徴としてこの訛りは重要だと思う。
OASISもマンチェスターの出身だしね。北系ですな。





posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 08:31| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

BREAD 『IF』(じゃなくて…)

text by ワダマサシ


「ねえねえ、最近なに聴いてんの?」
あの頃は、音楽好きが顔を合わせれば「久しぶり。元気だった?」の代わりに、こう言って近況を報告し合ったものである。
あの頃というのは、わたしにとっては20世紀の最後の25年(長い!)ほどだろうか。

当時はまだポップスが十分進化している過程にあり、お互いに確認しながら情報を交換し合う必要を感じるほどだった、ということなのだろう。
気がつけば、巷で(といったら言い過ぎで、私の回りでということかもしれないが…)この言葉をつとに耳にしなくなった。
そのことに、まだ音楽関係者でもあるわたしは危機感を持ったほうがいいのだろうが、もうあの頃のようには絶対に戻らない気もする。

音楽鑑賞(この言葉さえ死語かな?)のほかに、ゲームとかケイタイとかネットとか時間消費のエンタメのツールがたくさん出来てしまったのだから、悲観するよりも、それでいいのだと考えたほうが気が楽だ。
“今には今なりの音楽の楽しみ方がある”のだから。

さて、一曲入魂の「一曲」を選ぶにしても、“あの頃の音楽ファン”である私は、何を選ぶべきかコメカミが痛くなるほど考えこんでしまう。
でもその理由は、たくさん入魂の曲があって選び切れない…ということでは決してない。
音楽の嗜好というのが“人生の価値観”とほぼイコールで語られることになれてしまっているせいで、それを人前に晒すことに躊躇いを覚えると言ったほうが正しい気がする。
言い換えれば、わたしがカッコつけで、人に本心を披露するのが苦手な性格というだけ。

この曲が好きだ!と叫んだら、相手にどう思われるだろう?
ほほう、そういうヤツだったのかと、いらぬ誤解を受けたりしないだろうか?
だって最近の曲を選べば、若者に媚びてるようだし、昔の曲を紹介すれば薀蓄オヤジになってしまいそうじゃないか。
考えれば考えるほど、八方ふさがりに思えてしまう。
それが理由で、今日まで書きたいのに「一曲入魂」の原稿が入れられないでいたのだから、私も相当ケツの穴の小さい男だ。

実はわたしは、“BREAD”みたいな毒にも薬にもならんメロウなポップスの大ファンで、学芸大駅に近いスナックでデヴィット・ゲイツの「IF」を弾き語りで歌っていましたなんて、どんな顔をして言えばいいのだ?
あ!言ってしまったけど、いまのは忘れてください。

というわけで、今日の「一曲入魂」は、わたしのケツの穴の小ささをさらけ出すに留め、本心はまだ隠しておこうと思う。

でも、最近ハラの底から感動した曲がないわけではない。
たとえ、感動の種類が“笑い”にしてもだ。
最後にそれを披露して、お茶を濁すコトにしよう。
え?
著作権が?
そんなコト、知〜らない!

初めてこれを聴き、もし笑わないですんだら、あなたは変人だと断言してしまおう。
知ってる人も、何度でも我慢せずに楽しんでください。
それでは、また…。




IKUZO ikzo Michael Jackson Thriller
posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 16:53| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月08日

Simon&Garfunkel『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』

text by 福岡智彦

ま、おそらく30代以上だったら知らない人はいないくらいの超有名曲ですが、1970年、大阪万博の年に発売、つまりボクは高校1年&16歳。ボクにとってはまさに青春の思い出とともにある貴重な曲です。

実はボクはこの曲を、テレビドラマのBGMで知りました。音楽誌なんて読まなかったこともあり、音楽を系統立てて探す&聴くということがなく、ただ行き当たりばったりラジオやテレビで出くわした曲を好きになって買うだけという時代でした。まぁ今もあまり変わらないけど。

そのドラマはたぶん「おはよう」というタイトルで、若尾文子主演で堺正章も出ていた、ということぐらいしか憶えてないのですが、TBSの水曜劇場シリーズ、「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」を生んだ、王道大衆ドラマ枠の中のひとつでした。なぜそこに洋楽がBGMとして使われていたのか不思議ですが、その違和感が反ってとても印象的でした。たまらなくいい曲だと感じて、もちろんタイトルも何も判らなかったと思うんですが、どうにかして探し出して、シングル盤を買いました。同じドラマに『コンドルは飛んでいく』も使われていて、そちらもシングルを買いました。

でも、ネットで調べると、「おはよう」は放映期間が1972年7月5日-1972年10月25日となっています。それだとボクは高校3年になっているんですが、そんな遅くはないはずです。
なぜかというと、高校2年のときにつきあってた同級の女の子に、ボクはこの曲を聴かせて、
「この歌詞をよーく味わって、人に尽くすということを考えろ!」
なぁんてえらそうに言ってたからです。
「おまえが考えろ!」
と、今なら自分につっこんでしまうような恥ずかしい行為を、若気の至りとはいえ、忘れようとして忘れられません。

なのでひょっとしたら同シリーズの、1970年9月2日-1971年1月13日で放送された「こけこっこー!」かもしれません。これにも若尾文子と堺正章が出ています。……でも「おはよう」というタイトルは相当記憶に残っているんだけどなー。

ところでボクは軽度のオーディオ・マニアでもあるんですが、そのきっかけになったのが実はこの曲だったりします。
シングルを買った当時の再生環境はボロい電蓄(と言っても若い人には判らないでしょうか。要はアンプ、スピーカー一体型のレコード・プレーヤーです)でした。
その環境では、3コーラス目から登場する低音パーカッション、平たく言えば大太鼓のドーンという音がほとんど聞こえなかったんです。
もう少しマシなのが欲しくて、長岡鉄男さんの本を読んで、アンプとスピーカーを自作しましたが、それで初めて3コーラス目の大太鼓の存在を知りました。びっくりした。そしてオーディオ装置の違いで音が全然違ってくることに俄然興味を持ちました。
それ以来、オーディオをグレードアップする度に、この曲の大太鼓の聞こえ方を確認するのが儀式となりました。それはだんだん、ふくよかに気持ちよく聞こえるようになっていったのです。

これを書きながら久々に聴いてみましたが、なんだかオーケストレイションの広がり感がちょいと物足りませんでした。他のCDではもっと”鳴る”装置なので、オーディオの力不足ではなく、元の音源のクオリティの限界かと思いました。なんせ40年前の音源ですからね。
でも、CD自体がずいぶん前に買ったものなので、アナログを取り出しました。最初に買ったシングルはもうありませんが、ベストのLPがあります。
そしたら案の定、アナログのほうが全然音がよかった。なぁんだ。
初期のCD(80年代?に製造されたもの)は音質よくないです。

最後に、改めて、邦題がよいですね。
原題は「Bridge Over Troubled Water」。直訳すると「荒海(川)の上の橋」ですが、それを「明日に架ける橋」と。歌詞の内容からすると「君のために」とかなんとか、愛情表現的な言葉が出てきそうなものですが、それを「明日に架ける橋」とすることによって、崇高な、壮大なイメージが出ています。曲のスケールの大きさをさらに広げていると思います。
おそらく当時のCBSソニーの洋楽ディレクターが考えたんだと思いますが、もちろん給料だけしかもらってないでしょう。洋画もそうですが、すばらしい邦題には印税あげたいくらいですな。





福岡智彦(フクオカ・トモヒコ)大阪府出身 さそり座 AB型
渡辺音楽出版〜エピック・ソニー〜ソイツァー・ミュージック〜ロビン・ディスク
音楽制作ディレクターとして、
山下久美子、チャクラ、太田裕美、GONTITI、くじら、PINK、土屋昌巳
遊佐未森、小川美潮、Killing Time、eEYO、明石百夏、Convex Level、
松谷卓、こながやひろみ、梵鉾、河井英里、南烏山六丁目プロダクション等を担当。
21世紀に入ってからは、主に音楽配信業務に携わる。
2004年 ソニー・ミュージック退社 音楽配信サイト「recommuni」の設立に参加。
2007年 バウンディ入社 現在に至る。

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2009年02月06日

タイガース『落葉の物語』

text by かべみちこ

子供の方程式
  
♪小学校3年生のミチコチャンは、ちょっとオマセな女の子。
幼稚園時代は病弱で、2年保育に延べ半年も通っただろうか…ってほど。
家と病院の往復で、すっかり大人の顔色を見て過ごすような子供になっていたみたい。

 ミチコチャンはその頃起こっていたGSブームっていうのに、ちょっと興味をソソラレタのです。 だって「おねえさんたちが失神して倒れちゃう」って、どういうこと? それってなに? って疑問がムクムク湧き上がってきちゃったから。
テレビに映し出されるおにいさんたちはお行儀よく見えたし、それより何よりカッコよく見えました。
お父さんやお母さんたちが渋い顔をしているのはわかっていましたが、おねえさんたちやおとなたちの気持ちもやっぱりわからない。
そう、わかるのは“なんだか秘密の匂い”ってことだけ。

 レコード屋さんにドキドキしながら行ってみました。
一人で行ったのは初めてです。 ウィーン少年合唱団のレコード買うときはお母さんと行ったけど、どうしてか今回は一人で行かなきゃって思ったのです。
まるで、秘密の任務を遂行するみたいに…♪


 というのが、私にとってのGS時代のイメージ。
子供でしたから、絵に描いたようにタイガースのジュリー(沢田研二さん)が大好きになりました。
「落葉の物語」は、1968年の大ヒット曲「君だけに愛を」のB面。
ジュリーが ♪君だけに〜♪ と指差して歌うのですが、そのときに指差された女性が(もちろん実際はヤミクモに指差していただけだと思いますが)失神してしまうという現象が、あちらこちらで起こっていたようです。
A面「君だけに愛を」が“動”ならば、B面「落葉の物語り」は“静”という表現がピッタリの曲。 私は、この曲がとても好きだったのです。
その頃は聞きなれないチェンバロの音やオーケストレーションがよかったのでしょうか。(実はもう長く聞いていないので、本当にチェンバロが入っていたかどうか確認できていません。シングル盤は手元にあるのですが、レコードプレーヤーが動きません) 
とにかく特別な曲として、私の中にインプットされたのです。 
小学校3年生の少女には“ショコラーテ”って言葉が、やけにお洒落に響いた記憶があります。
ひょっとしてこの頃から“バレンタインデーにはチョコレート”ってことになったのかもしれません。だって、タイガースは明治チョコレートのイメージキャラクターになっていましたから。 あの赤いソノシートも持っています(笑)

この曲は、橋本淳作詞・すぎやまこういち作曲 ですが、なぜか私は亡くなられた安井かずみさんのイメージを持っていました。
安井かずみさんが提供したのは「シー・シー・シー」という曲の詩だったのに。
子供の私はなぜかわかりませんが 
ショコラーテ→安井かずみ→フランス 
なんて方程式を作り上げ?? とにかくオマセだったから(笑)安井かずみさんに憧れていました。 そして、それがずっと頭の隅にあって、高校生の頃にはサガンやボーボワールの本を片手に歩くくらいにはなっていました。

「落葉の物語」には大きな影響を受けたわけですが、幼い日の頭の中はメチャクチャであったことが判明し脱力状態です。

30年前、渡辺音楽出版社は麻布台にありました。
会社の近くに有名な“CHIANTI”というお店があり、転職の際にそのことが決めてのひとつになったように思います。 好きな曲により、不思議な縁は繋がっていくのかもしれません。 



沢田研二『落葉の物語』

かべみちこ
茅ヶ崎出身 B型 
関西テレビ放送を経て渡辺音楽出版に入社。
現在は 心理関係の仕事をしている。


posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 10:18| Comment(1) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする