あの頃、すでに私は十分「大人」だったけれど、まだ「娘」でもありました。
あるお天気のいい日曜日。
その2年前から癌を患い、闘病生活を余儀なくされていた母の見舞いのために、
私は毎週のように杉並の自宅から、横浜のみなとみらい地区にある病院まで愛車のルノーサンクを運転していました。 車中で聴くのは、いつもミスチル。
なぜ?って、桜井君が好きだったから。
私だって小学生の頃ジュリーが好きで、赤いソノシート欲しさに明治のチョコレートを一生懸命買ったこともあったけれど、大人になって仕事をしていたときには、何だかそんな気持ちをすっかり忘れてしまっていたのです。
仕事を辞めて、垢が抜け落ちて、フツーの生活に慣れ親しんで十数年が経ち、好きになったのがミスチルだったのです。
ルノーサンクという私だけの空間は、いつも桜井君の声でいっぱいでした。 たまに夫が同乗すると、「また?」と嫌がられるくらいには。
そういえば、 「新幹線に乗せてあげる」 と小さな息子をだまして東京駅からたったの一駅。 横浜ドームでのミスチルのコンサートに行き、あまりの音響に息子が泣いたことがあったっけ。
あの時は、本当に困りました。
空は青かったけれど、それが秋だったのか、冬だったのか。
母はどういうわけか、無鉄砲で気の強い私をあまりしかったことがなかった。
と、思うのです。
嘆いていたことは、よくあったけれど…。
隣の高校のロック少年に恋をして、クラシックピアノをやめ志望大学を変更したときも。 音楽が好きというだけで、転職したときも。 音楽業界で働くようになった私が一人暮らしをしたときも、うるさい父に内緒で家賃を払ってくれていたのです。
結婚して子供もようやく中学生になって 「そろそろ母と旅行にでも」 と思っていた矢先の出来事でした。
日に日に弱っていく母を見るのは、辛かったから。
余命を悟られたくなかったから。
いつも元気でいることが、唯一できることだったから。
往路では景気付けに Tomorrow never knows を 桜井君と一緒に歌っちゃう。
一人きりの車内は、何でも許してくれるのです。
でもその日に限って、歌っていたら涙が溢れ出してしまったのです。
クネクネ曲がった首都高速横羽線で、視界がブワッと滲み始めて…壁に激突して死ぬかと思いました。
そしてその瞬間も、たぶん私は歌っていたのだと思うのです。
♪果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて♪
こわかったけれど、こわくないような。
ほんの一瞬、 死 というものが身近に感じられた出来事でした。
それから程なくして、
私は大人だけれど、もう誰の娘でもなくなってしまいました。
いったい何によって、子供と大人の線引きがされるのかはわかりません。
もちろん、その人の体験や考えによってさまざまだとは思うけれど。
敢えて言えば私の場合、そのときに自分の役割が変わったように思うのです。
甘えるものから、甘えられるものへ。
守られるものから、守るものへ。
知らないものから、知るものへと。
そのときのそんな心情に、ピッタリした曲だったのだと思います。
♪人は悲しいほど忘れてゆく生きもの
愛される喜びも 寂しい過去も♪
♪優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで♪
想い出の曲はたくさんあるけれど、
母が亡くなり10年の歳月が流れた記念に。
Mr.Children / Tomorrow never knows