B面候補曲としてデモテープを提出し終わった後に、「あの曲がどうしても気になる…」と言い出したのは陽水の方だった。
ポップアイドルに限らずシングルのカップリング曲は露出の機会もなく、どんなにいい作品であっても数合わせのような意味しか持たないケースが多い。
陽水には、あの曲がそんな立場のまま埋もれてしまうことになぜか強い抵抗を感じたのだろう。
それは、アーティストとしての独特な勘としか言いようがない。
「なんとかあの曲を返してもらえないものだろうか?」
そんな申し出が、川原氏を通じてライジング・プロの平社長のもとに届けられた。
平社長は書き下ろしの別曲を提出することを条件に、作家サイドのわがままな要求を快く承諾してくれたという。
このことが「少年時代」の誕生への運命の分岐点となったのだ。
代わりに平井夏美(川原氏)との共作で書かれたのが「ON BED」という曲。
なかなかの秀作ではあったが、1990年6月27日発売のシングル「ギャラリー」のB面に収録されたのみで、その後荻野目のオリジナル・アルバムにも収録されることはなかった。
かくして再び陽水の手元に戻ってきた名も無きデモ・テープは、歌い出しの“夏が過ぎ 風あざみ…”などごく一部を除き“♪ダララルル〜”というスキャットのみという未完成の状態のまま、しばらくストックされることとなった。
そんな折、陽水の元に映画の主題歌制作のオファーが舞い込む。
依頼者は、漫画家の藤子不二雄A(安孫子素雄:写真)さん。
雀卓を共に囲む、陽水のオフタイムの友人の一人だった。
この依頼が作品の方向を決める最後の指針になる。
映画化されるという作品は、戦時中に東京から疎開してきた少年が疎開先の仲間たちと心を触れ合うという、柏原兵三の小説「長い道」を原作とする漫画。
そして、そのタイトルが「少年時代」だったのだ。
映画主題歌という役回りを与えられた未完成のデモ・テープは、陽水の言葉の魔法により「少年時代」という稀代の名作として完成する。
散りばめられた“風あざみ”“宵かがり”“夢花火”などの言霊が、あまりにも美しく光を放つ。
いままで何人の人が辞書を紐解き、その意味を知ろうとしたことだろう?
それらは全て陽水の造語なのだが、既成の単語よりも遥かに鮮やかに儚い夏の思い出を蘇らせる。
必要にして充分なさじ加減に装飾を抑えた編曲も、作曲と同じ井上陽水と平井夏美。
ビートルズというOSを共有する二人ならではの完成度の高い仕上がりになっている。
ちなみにストリングスアレンジは星勝、ピアノをプレイしているのは来生たかお。
彼らもまた同じOSの持ち主である。
完成形のイメージを参加者全員が共有している作品だけが持つ隙のない凝縮感が、イントロからエンディングにまで漂っているのは間違いなくそのせいなのだ。
最終回へ続く…
映画「少年時代」より