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2009年08月01日

井上陽水 『少年時代』<1>

text by ワダマサシ



夏休みをイメージする大好きな歌は?
そんなアンケートが世代を縦断して全国規模で行われたら、少なくともトップ3にはこの曲が間違いなく顔を出すだろう。
今では音楽の教科書にも載るほど知れ渡った名曲だが、インストで聴いても夏景色が脳裏に鮮烈に像を結ぶ。
それはこの曲が、後に映画「少年時代」の主題歌、ソニーハンディカムのCMソング、PS2用ゲームソフト「ぼくのなつやすみ」など、多くの夏をバックグラウンドにしたタイアップ曲として使用されたからかもしれない。
でもわたしは、“少年期=人生の真夏の始まり”というテーマが、もともとこの曲のDNAに意図的に刷り込まれていたせいだと思っている。
その普遍的なテーマの背骨をしっかりと支えているのが、「襟を正し、背筋を伸ばしたくなる」ような、例えば学校の校歌にも通じる凛と居住まいの整ったメロディーなのだ。

どんな名曲にもそれが生み出されることになった偶然・必然の事情、つまり制作過程での興味深い秘話が、その真贋を問わず必ずあるものだ。
しかし中でも「少年時代」のそれは、知れば知るほど奥が深い。
音楽がワクワクするような人間同士のコラボレーションで作られていた当時の時代背景もあり、わたしにとってもはや近々書いてみたい小説のテーマになってしまっている。
今回の「一曲入魂」は、そのプロットの整理の意味合いもあるのだ。

さて、この曲の作曲者が井上陽水と平井夏美の連名になっていることをご存知だろうか?
この二つの才能の出会いがなかったら、決してこの名曲が生まれるとこはなかったのだ。
松田聖子の「瑠璃色の地球」の作曲者としても知られている平井夏美(本名:川原伸司氏) は、わたしのビクターレコード時代の先輩ディレクターだった。
川原氏はその頃からプロデューサーズ・プロデューサー、つまり作曲家・作詞家・編曲家を含めた音楽制作者をさらにプロデュースしてしまうような独特なスタイルで仕事をされていた。
作家やミュージシャンの懐にいとも簡単に入り、しかも音楽的にも影響を与えてしまうには、相手にリスペクトされる才能や知識がなければならない。
氏はそれを持った稀有のハウス・ディレクター(レコード会社の制作マン)だったのだと思う。

1980年代初頭、ビクターレコードの制作部は外苑にある白壁のビクター青山スタジオの一階にあった。
スタジオには当然のことながら、アップライト・ピアノを設置したリハーサルブースが数多くある。
川原氏が忙しい仕事の合間を利用し、そこにこもり寸暇を惜しんで曲を書き続けていた事実は、勤務時間内の自由行動ゆえ、あまり知られていない。
わたしはどういうわけかその作業によく付き合ったものだが、「瑠璃色の地球」や「少年時代」のモチーフはその当時からすでにあった気がする。
それほど、あのリハーサルスタジオで紡がれたメロディーは秀逸だったので、その芽がやがて大輪の花を咲かせたことも、わたしにとっては大した驚きではないのだ。

その川原氏と井上陽水が出会うもっと前に、名曲「少年時代」が生まれることになったそもそもの起点となる出来事があった。
それは、1984年の井上陽水の結婚10周年パーティー。
その席上で、陽水は今は亡き筑紫哲也氏に会う。
当時テレビメディアから遠ざかり一ジャーナリストという立場にいた筑紫氏に、井上陽水が「また何かやってください」とニュース番組への復帰を促すような発言をしたという。
やがて「ニュース23」という後の名物番組がスタートすることになった時、陽水はその発言の責任を取る形で「最後のニュース」という番組のエンディングテーマを書いた。
その時同時に依頼された番組の冒頭に使用されるジングルの制作が、二つの才能を引き合わせることになる。


この項続く…。

 
筑紫哲也氏追悼番組 2008-11-11 より 




posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 11:46| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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