マイケル・ジャクソンの数ある名曲の中から、たった1曲を選び大多数の読者の信認を得ることなど不可能だ。
その点で“キング・オブ・ポップ”は一曲入魂というこのコーナーには不向きのアーティストなのかもしれない。
しかし、ここでも追悼の気持ちを表すために、敢えてその難題にチャレンジしてみる。
奇をてらったチョイスだと思われる方が多いかもしれないが、「リベリアン・ガール」は十分にその資格のある名曲だと思う。
1987年にリリースされた不滅のアルバム「BAD」から、なんと8枚目のシングルとしてこの曲がカットされた(英国のみ)のが1989年。
最高位13位という結果は、アルバムが驚異的セールス上げた後のリリースだったことを考慮すれば、やむを得ないところだろう。
さて、私がこの地味な曲を選んだ理由をお話しよう。
彼の成功のかなりの部分は、クインシー・ジョーンズという偉大なプロデューサーの力によるものだという意見には、どなたもご賛同いただけると思う。
「BAD」は、その二人のコラボレーションで完成した最後の作品であり、結果「リベリアン・ガール」はその最後のシングルということになる。
1991年にリリースされたセルフ・プロデュースによる次のシングル「ブラック・オア・ホワイト」は、全英・全米ともに1位を獲得。
アルバム「Dangerous」も、「BAD」を越えるセールスを記録した。
しかし、マイケルの成功がこの時点でもうすでにピークアウトしていたという印象を持つのは、私だけではないはずだ。
したがって、「リベリアン・ガール」がマイケル・ジャクソンという稀代のスーパースターのフィナーレの曲のように私には思えてしまうのだ。
また、ミ、ラ、シ、と進む冒頭の“リベリアン・ガール”の部分のメロディーは、意外性がありマイケルのソングライターとしての非凡さを感じさせて余りある。
ひとつの楽曲としてみても、オリジナリティーという点で「リベリアン・ガール」の価値は非常に高い。
そして、思い出してみればこの曲のPVがすごかった。
“エリザベス・テーラーに捧ぐ” というメッセージから始まる映画のメイキング映像タッチのクリップに、マイケル本人はほとんど出てこない。
作品としては大して面白いわけではないのだが、出演者の顔ぶれをみただけで、マイケルがいかに偉大だったかを偲ぶことが出来る。
わたしもPVのエンディングにならぶ出演者のクレジットを見て、改めてそう強く感じた次第だ。
原題: Liberian Girl アーティスト:Michael Jackson
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