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2009年06月17日

Scott McKenzie『San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)』

text by 福岡智彦




渋谷のロック・バーで、若い頃にビルボード・トップ40をせっせとノートにつけていたという音楽好きの同僚、TN氏と飲んでいたら、ボクの入魂曲のひとつである、エジソン・ライトハウスの「Love Grows(恋の炎)」が流れてきた。
ボクより一回り若いTN氏はご存じなかったのだが、気に入ったようで、翌日会社でiTunes Storeでダウンロードしていた。その折に、
「『San Francisco』って曲が一番人気になってますよ。」
と言う。
「え?それはないよ。彼らって『恋の炎』が唯一のヒットのはずだから……。」
「試聴してみましょうか。」
流れてきたメロディはとても聞き覚えのあるものだったが、アーティストが思い出せない。
「たしかにその曲は大ヒットしたんだけど、でもエジソン・ライトハウスじゃない……ビージーズだっけ?」
「それはマサチューセッツでしょお。」
「あ、そうか。」
「でもほらー。」
彼のパソコンのiTunesの画面を見ると、確かにエジソン・ライトハウスの「On the Rocks」というアルバムで、4人のメンバーと(なぜか)象がいっしょに写っているジャケット写真がある。
一方、ボクは「San Francisco」をネットで検索すると、Scott McKenzieの名前が出てきた。
そうだ。スコット・マッケンジーだ。この名前、すっかり忘却の彼方だった。
そうすると、エジソン・ライトハウスがこの曲のカバーをやっているわけだ。
でも、ふんいきがオリジナルとそっくりで、これはカバーと言うより、コピーだ。

改めてAMG (All Music Guide)で調べてみたら、この「On the Rocks」というアルバム、「a complete farce.」つまり「全くの茶番だ」って書いてある。「Love Grows」以外は、他のバンドが演奏しているというひどい代物らしい。「Love Grows」の入魂のところで書いたように、実は実体のないバンドだったらしいので、アルバムも適当だったのかもしれない。

ちなみに、iTunesでエジソン・ライトハウスの『San Francisco』をダウンロードしてみたら、大サビ前で音飛びしていた。おススメしない。


前置きが長くなったが、こうして偶然、ボクの記憶の中から消えかけていた名曲に再び巡り会えることができた。1967年にビルボードで最高4位まで上った、スコット・マッケンジーの『San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)』である。作詞・作曲はJohn Philips。

この曲、歌詞はとってもシンプル。

「もし君がサンフランシスコに行くなら、
花を髪につけていくのを忘れずに。
もし君がサンフランシスコに行くなら、
そこにはやさしい人たちがいるよ。……」

団塊の世代の人たちはもちろん知ってるよね?フラワー・ムーブメント。
ヒッピー文化。サイケ。ラブ&ピース。
愛と平和の象徴が「花」というわけだね。
その聖地がサンフランシスコで、ムーブメントのピークが1967年だったらしい。

まさにこの歌はフラワー・ムーブメントそのものと言える内容で、つまりいわゆる「反戦歌」だ。

この時代は、冷戦、ベトナム戦争、日米安保条約などを背景にした「反戦ムード」が、学生を中心に世界全体に広まり、日本でも多くの「反戦歌」が生まれ親しまれた。

音楽は人間の感性に直接響くものだから、往々にして「メッセージを伝える強力な道具」として利用される。たとえば戦時中は、戦意を鼓舞するために多くの「軍歌」が作られた。
もちろん、戦争を謳歌する歌より、「反戦歌」のほうがよほどいい。
だけど、「反戦歌」の中に名曲があるように、「軍歌」にだって名曲はある。
メロディは具体的なメッセージなどとは関わりなく、人の心の琴線をかき鳴らすものだ。

だからすごい名曲の場合、「反戦歌」などという狭いメッセージ性に閉じ込めてしまうのは、ちょっともったいないような気がする。

「五つの赤い風船」の「遠い世界に」という曲があるが、ボクらの世代の感覚だと、この曲はまさに反戦歌。学生運動とイメージが重なり、それがちょっと重いというか、すばらしいメロディを持っているのに、どこか純粋に音楽として楽しめないところがある。
先日、ニッポン放送主催の「オールナイトニッポン〜さくらの頃に〜」というイベントを観ていたら、最後に出演者全員で「遠い世界に」を唄ったのだが、何かどうも違和感があった。
「遠い世界に」は反戦歌として歌われることによって、多くの人が知るところになったのはたしかだろうが、そのために却って、その本来の音楽としてのよさがストレートに感じられていない、それがこの曲にとってちょっと不幸だと思うのは変だろうか?

『San Francisco』も、ある人たちにはまず反戦歌の代名詞なんだろうと思う。
でも、サンフランシスコのフラワー・ムーブメントを直接見たわけでもなく、この曲がそのひとつの象徴であったことも後知識に過ぎないボクには、幸いにして(?)そういう感覚はない。その音楽性を自由に楽しめる。

それには歌詞が英語だということも、直接意味が入ってこないという点で、重要なポイントだろう。日本語だとどうしても言葉が(好きにしろ嫌いにしろ)気になってしまう。

これが、洋楽のよさなのかもな、と改めて思ったり。

反戦歌だろうと、たとえ軍歌だろうと、このメロディとスコット・マッケンジーの朗々とした歌いっぷりはほんとにすばらしい。






Scott McKenzie/San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)


五つの赤い風船/遠い世界に





posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 05:21| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング『組曲:青い目のジュディ』

text by ワダマサシ

 

大森に「風に吹かれて」というライブフォーク酒場がある。
巷のライブハウスよりもうんと敷居が“低い”ので、ちょっと腕かノドに覚えのある人ならばすぐにステージに上ってお客さんの前で歌えてしまえるようなフランクなお店だ。
お客さんの中心は、1946年から1965年の間にお生まれになった「戦争を知らない子供たち」世代。
つまり、中年以降から初老にかけてのおっさんやおばちゃんたちと言うわけだ。
いまや伝説になっているウッドストック(1969年)やその影響で日本で行われた中津川フォークジャンボリー(1970年)を知る人々なので、歌う曲も推して知るべし。

ポニョで名高い友人の背景歌手Fジオカ氏の家がこの近所にあるせいで、わたしも時々ここに連れ込まれる。
彼はここに毎晩訪れては、近隣のジジババ達と渾身の力を込めて懇親を深めているようだ。
そのせいで、いまでは熟年の出会い系酒場と化し、警察でも問題になっているとか(ウソ)。
先日もう一人の友人と3人で夜遅くお邪魔したが、60歳を過ぎの大先輩がごく普通にモダンフォークを演奏していらっしゃったりして、正に東京のミステリーゾーンのような趣きだった。
お前もとっとと歌えという声に応え、酔った勢いで、二―ル・ヤングをせっかく歌っていらっしゃった二人のお客さんのステージに、スティーブ・スティルスを気取って乱入した。

「ジュディー・ブルー・アイズでもやりましょうか」というわたしの超無謀な挑発を、ステージにいらしたサラリーマン風の方は見事に受けてくださった。
「いいですよ。スティルスをやってください」
これこそが、「ウッドストック」を知る人の粋なコミュニケーション。
いいかいお聞き、ニューヨーク郊外の農場で行われたあの伝説のロックフェスで、名だたる演奏者の中の白眉となったのは、テン・ヤーズ・アフターでもザ・フーでもジェファーソン・エアプレインでもサンタナでもザ・バンドでもジミヘンでもなく、CS&Nだったのだよ。
少なくともわたしを含め世界中の多くのおっさんがそう思っていることだろう。

6弦から、DADDADというメジャーでもマイナーでもない響きのオープンチュ−ニングは、わたしの学生時代の憧れだった。
そしてあまりにも美しいクローズドハーモニー。
彼らは、コードがDの時にごく自然にAのトライアードでコーラスをハモる。
なので、全体として出てくる音はD分のA、つまりDメージャーナインスの響きになる…。
す、すげーー!と思ったものだ。

ややこしい話になってしまったが、いまではレアなそんな曲を40年という時を隔て、アジアの片隅の日本の片隅の大森の片隅のフォーク酒場の片隅で、平凡なおっさんたちが歌えてしまうという事実にわたしは驚愕したわけだ。

CSN&Yよ、永遠なれ。




CSN (AND Y!!!) -Suite: Judy Blue Eyes - Woodstock 1969
















posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 13:19| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする