◆このブログが気に入ったら、つぶやいてみんなに知らせてください。

2009年04月17日

ダイア・ストレイツ『悲しきサルタン』

text by ワダマサシ


Dire Straits

もしも、誰かのギター・テクニックが手に入るとしたら…。
前回は、コステロの声が欲しいなどとワガママを言わせてもらったが、今日は大好きなギタリストの話をしよう。
わたしのギター・アイドルは、エリック・クラプトンでもジミー・ペイジでも寺内タケシでもなく、実はマーク・ノップラー。
明日になればまた気が変わるのかもしれないが、少なくとも今日の気分ではそうなのだ。
ストラトキャスターをまるでクラシック・ギターのようにピックを使わずに爪弾く彼のスタイルは、比べる者がいないほどユニーク。
イフェクターに頼らない透き通った美しい音色なのに、猛烈にロックを感じてしまう。
しかも自らディランばりのボーカルを歌い、それに合いの手を入れるように独創的なリフを奏でる。
したがって、4小節ブロックの前半が歌、後半がギターという繰り返しの構成になるのだが、これが異常にカッコいい。
それは、日本民謡の歌い手が、“はぁ~、津軽ぅ~名物ぅ~”と歌ったあとで、“ああ、どうした、どした”と自分で合いの手をいれるようなもので、完全に自己完結的な世界。
一人でほとんどやりますけん、バンドのみんなはリズムだけ刻んどって…みたいな。
アーティストたるもの、このぐらい自己中心的でいいのではないだろうか。

しかも、彼はきれいに韻を踏んだ難解な詩を書く。
わたしは、このサルタン・オブ・スウィング(原題)という歌を、悲しいかな「悪魔の感謝祭」みたいなイメージでずっととらえてしまっていた。
よく考えれば、サルタンとサタンの勘違いというお恥ずかしい話なのだが。
実際には、サルタン・オブ・スウィングというジャズ・バンドがオーディションを受けた時の滑った転んだを歌ったものらしい。

話は少し脱線するが、英語の詞というやつは、この“韻”というやつのせいで内容がたまたまアートっぽく転んでしまうものなのだと思う。
中国語も同じような現象が置きやすい言語で、うらやましい限りだ。
語尾合わせのために苦し紛れに選んだ単語のせいで、偶然にも内容が芸術的になってしまうことなど、日本語では考えられない。
最近では、ジョイマンがお笑いに取り入れたりしているが。

おっと、ギタリストの話だった。
わたしは、マーク・ノップラーのギターの音色がシャドウズに似ていると昔から思っていた。
ダイア・ストレイツとシャドウズを比べるなとお叱りを受けそうだが、わたしはマーク・ノップラーは“アパッチ”にインスパイアされて“悲しきサルタン”を作ったのだと今も信じている。
本当かどうかは本人に訊いてみるしかないが、聴き比べるとそんな気がしてこないだろうか?



:::::::::::::
M.Knopfler & E.Clapton-Sultan of Swing    The Shadows - Apache


posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 11:06| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

エルヴィス・コステロ『アリスン』

text by ワダマサシ



大好きなアーティストの声を手に(ノドに?)入れることが出来たなら…と想像したことはないだろうか?
例えば…、郷ひろみの声になって「お嫁サンバ」を歌ってみたいとか、桑田佳祐の声で「TSUNAMI」を歌いたいとか。
わたしも、ドン・ヘンリーの声で「ホテル・カリフォルニア」を歌ってみたいと思ったりしたものだ。

今なら、エルヴィス・コステロの声を迷わず選ぶ。
彼の声はボディが野太くとても逞しいのに、輪郭が擦れていて全体の印象が程よく都会的で切ない。
出来るものなら、一度でいいからあの声で「アリスン」か「ヴェロニカ」を弾き語りしてみたいものだ。
当代有数のヴォーカリストであるミスチルの桜井クンでさえ、エルヴィス・コステロには一目を置く。
彼のファンならば誰でも知っているが、そのことは「シーソーゲーム」のPVを見るとよくわかる。

わたしの理想の声帯の持ち主であるコステロは、若い頃よりも今のほうがずっとその天賦の楽器を生かしている気がする。
力の抜けたシャルル・アズナブールのカバーやバート・バカラックとのコラボが、芸域を広げたのだろう。
あれほど覚えにくいバカラックのメロディーも、彼が歌うと別の意味を持ちごく自然に心に響く。
あれこそ正に「歌力(うたぢから)」と言いたくなる素晴らしさ。
同様に、先ごろ来日したロッド・スチュアートもスタンダードカバーにトライしてから、すっかり魅力的な熟年ヴォーカリストに生まれ変わったようだ。

考えてみれば、彼らのように年齢を重ねてさらに新境地に到達というアーティストは、なかなかいない。
同じく理想的な声の持ち主で、あれほど光輝いて見えたCSN&Yのスティーヴン・スティルス。
今や輝きは頭部だけ、なんだか見るも無残に肥えてしまった。
肥えるだけならわたしも文句を言わないが、音楽が枯れてしまったように見えるのがファンとしては残念。
今更あの姿で「ジュディー・ブルー・アイズ」を歌われても、なんだか興ざめする。
老けても更に別の魅力を振り撒くコステロとは対照的だ。
スーパースターは、「昔の名前で出ています」だけでは許されない。
成功を勝ち取った後も、常に進歩し続けなければ評価を下げてしまう。
アーティストという職業は、つくづく過酷なものだと思う。
あれほどの才能のある人たちでさえ、うまく年齢を重ねていくことが難しい。
いわんや、凡人である我々をや…。




Elvis Costello - Alison




posted by 「HEART×BEAT」事務局 at 16:33| Comment(0) | 一曲入魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする