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かくして「少年時代」は、アルバム「ハンサム・ボーイ」に一ヶ月先行する形で1990年9月21日に8cmシングルCDとして初めて世に出る。カップリングは、同じく平井夏美との共作「荒ワシの歌」だった。
映画「少年時代」は、この年の日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得するほど成功を収めたが、主題歌の方はオリコンのヒットチャートでも最高位20位程度。
この時点では爆発的なヒットとはならず、陽水の代表作という評価を得るほどのセールスを上げたのは翌年の夏以降のことだったのだ。
ずば抜けた名曲とは、“エバーグリーン”になり得るポテンシャルを元々秘めているものなのだろう。
世の中の方がこの曲をもっと必要としていることを証明するように、「少年時代」は軽々とセカンド・チャンス、サード・チャンスを次々に我が物にしていった。
まずは、1991年ソニーのハンディカムのCMソングに採用される。
「きょうは、明日の思い出です」というキャッチコピーが「少年時代」の持つ世界観とあいまって多くの視聴者の支持を獲得、この時点でシングル・チャートの4位まで駆け上がる。
同時期にTBS系で放映された「ギミア・ぶれいく」内の“ドミノ倒し特集”のエンディングテーマにも使用され、「少年時代」イコール「夏休み」というイメージを一層定着させることになった。
そこから毎年着実にチャートに顔を出すロングセラーの地位を欲しいままにし、1997年に日本レコード協会のミリオンセラーシングルに認定された。
奇しくもそれは、発売から8年目の真夏の出来事だった。
それ以降も「夏休み」の景色を代表する曲として、2002年発売のPS2用のゲームソフト「ぼくの夏休み2」の主題歌(歌:沢田知可子)など多くの露出機会を得て、あらゆる人々から愛され続けている。
もしも最初に与えられた役割のまま、つまり荻野目洋子のシングルのカップリング曲として発表されていたならこの結果は得られなかったはずだ。
詩はもちろんのこと、おそらくタイトルも「少年時代」ではなかったろう。
返却した名も無きデモテープが「少年時代」という名曲に姿を変え、後に圧倒的な評価を獲得したことを、当の平社長はどのように感じているのだろうか?
生き馬の目を抜くような強(したた)かさが求められる音楽界において、一度は受け取った楽曲であることを根拠に、成功の後に権利主張をされてもおかしくないケース。
私はその辺りの生臭い事実関係について、川原氏に訊ねたことがある。
その答えによれば、平社長は一度その手を放れてしまった金の卵に対して、温かく拍手を送り続け一度も未練がましい話はしてこなかったそうだ。
名曲が誕生した背景には、それを可能にした様々な人間のドラマが必ず隠されている。
「少年時代」の成功物語の中の最も重要なバイプレーヤーは、もしかしたら平社長だったのでは?
そう問いかけた時に、川原氏が我が意を得たように頷いたことが、私には最も印象深かった。
<了>